この世にいた証
これからの文章は深夜3時に酒を飲みながら書いているものなので、本当に暇人か、変態しか読む価値無し これは今そこのお前に言っている
”つくる”理由
2017年、当時僕は高校2年生
僕はパニック障害(不安障害)と診断された
夏頃から体調に異変を感じ始め、学校に行きたくなくなり毎日毎日死への恐怖とそれすら救済だと思う瞬間の狭間を生きていた
限界を感じ、普通科の高校を辞め、通信制の高校に転入し時間と心に余裕が生まれた
しかし依然として体調が良くなることはなく、このままいつか死ぬのかと思うと、何もこの世に残さないまま死ぬのは嫌だと強く感じるようになった
当時からクラブミュージック(広義)が好きだったので、これで自分がこの世にいた証を残せないかと思い、FL Studioのデモ版をダウンロードして作曲を始めた
海外のDTMチュートリアル動画を死ぬほど見ながらDTMをする行為は、久しく感じていなかった"努力"を唯一感じれる瞬間でそれをやっているときは嫌なことを忘れられるので楽しかった
初めて作った曲をサウンドクラウドにアップロードすると当時聴いていた一方的にファンだったプロデューサーからコメントが来て嬉しかった
それからしばらくして東京のDJが僕の曲をクラブで流してる動画を送ってくれたりしたそれで踊っている人たちや、リアクションをくれる人がいることに驚いた
なぜならそれまでは自分はこの世にいてもいなくてもどっちでも良い存在だと勝手に思い込んでいたからだ
それらがさらにモチベーションになり曲をいっぱい作って他人と合作を始めたりした
リアクションが来るたびに自分はこの世に存在してるんだと強く実感することが出来た
DJ
DJをするための機械を初めて見たの普通科の高校にいた時の友人の家だった
動画でしかみたことがなかったモノの実際の迫力と興奮は今でも覚えている
基本操作とコツを教えてもらってからは休日が来るたびにその友人の家に通ってひたすら練習した
なんやかんやあって現実のクラブに出させてもらえるようになった
ブッキングしてもらえたイベントは無理な理由がない限り全部出演した
自分の番の前の緊張と自分のプレーでお客さんがゆらゆら揺れてノってくれている姿を見ると生きている心地がして希望になっていた
極端な話をすると、イベントフライヤーに自分の名前が載って、SNSに上がることさえも”この世にいた証”だと感じていた
ヴァーチャルリアリティへ
コロナが流行りだして現実のパーティが厳しくなり、VRでの開催になったイベントが多くなった
僕がヴァーチャルに来たのもその波の時だった
そこで外国語の会話がすごく聞こえることにビックリした
あたりまえだけどヴァーチャルには国境がない
時差だけはあっても来ようと思えばすぐにどこでも行ける
毎日のようにクラブイベントがあることを知って、毎日違うイベントに通った
当然知り合いなんかいるはずもなく、すべての人への挨拶のはじまりが「はじめまして」だった
ワクワクしかしなかった ここでは国境を越えて人が交差している
より音楽に集中できるクラブイベントならさらに居心地が良かった
思い出したくない過去や環境、諸々嫌なことなど全部関係なく皆が音楽という共通の楽しみに向かっている
そういった環境に僕は完全に虜になっていた
ヴァーチャルDJ
VRDJをする理由も現実でやっていたころと同じ理由で始めた
より多くの人の記憶の中に存在したくなったからだ
良い音楽を楽しみたい、同じ趣味を共有したいという感情ももちろんあるが、それよりも多くを占める
他の人がどういった感情でいわゆるDJ、演奏をしているのかは知らないが自分には珍しくはっきりと理由が決まっている
”この世にいた証”を残す機会をくださった人たちにはとても感謝しているし、いつか恩返ししたい (簡単に言っているが恩返しとは何なのかははっきりとわかっていない)
これから
僕はこれからも”この世にいた証”をいろいろな形で残すだろうし、これからもしばらくはなんだかんだで図太く生きて、あと何年かしてこの文章を見て恥ずかしく思っているだろう
そのときが来るまで僕は生きる
そのとき自分は何を残せているだろう
残したもので誰かが僕を思い出してくれるような、そんな人に僕はなりたい