ノート (2016/4/27 - 2017/5/16)

次の文章は、高校1年生から2年生の半分まで、在学中に仏教講和を聴いての感想ノートからコピーしたものです。
当時高校生であった私が書いた文章が、いつも今の自分に不足しているものを思い出させてくれるので、たまに読み返すようにしています。

そんな高校生の私が書いた当時のまっすぐなきもちの文章を、拙いものではありますが、皆さんにも共有出来たらなと思い、この度アーカイブとして公開したいと思います。

全部で20章あります。お時間がある時や、目に留まったトピックがあれば読んでいただけると幸いです。

 

 

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2016/4/27 

諸行無常について

今から3年前、中学校当時の頃を思い出してみる。その時は3年後自分がどうなっているのかなんて想像もつかなかった。しかし時間の流れには逆らえず、思えばもう卒業か、なんていう締めくくりだった。人間、歳を食うごとに時の流れるスピードというものが早まっていくそうだ。そうならこの高校3年間も良い意味であっという間だったなと思うかもしれない。
諸行無常という言葉は個人的に好きな言葉でもあったので話の中で理解出来る部分とまた新たに知れたこともあった。
人間、生きている限り必ず死ぬ。自ら急ぐ必要など無いと思うのだが、自分は後世に自分がいたことを伝えてもらえるようなそんな人として生きていたい。決して人々の意識の中では死なないもののひとつになりたい。本物の死というのは忘れられることなのだろうと思う。

 

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2016/5/11 

兆し

4月の入学時、確かに、「兆し」に期待していた。そこでスタートダッシュとして「挑む」ことが出来たら希望を捨てることなく過ごしていけるはずだ。しかしながら今の現状を振り返ってみればそう簡単にいきそうではない。何故か理由を具体的に挙げるとするならば「予習」と「提出物」だ。
正直な話、中学校の頃「予習」という概念が全くもって無く、それよりも授業についていけず、塾での復習に追われていたのだ。そして当然のごとく授業での理解が遅れ、塾に行っていてもテストまでに復習が追いつかず点数が悪くなるという悪循環が生まれるのだ。そのせいで「提出物」にも手がつけられなくなり遅れてしまう。そこで第2の恐ろしい所が、その悪循環に慣れてしまった事だ。明らかに良くないと思っていたのにも関わらず「慣れる」事で自然と逃げてしまっていたのだ。
もうこんなサイクルは御免なので良いサイクルを身につける事が今、自分の中で最優先の目標だと思う。思えば中学校の頃は自分が逃げていたので困難から前から迫ってくるばかりだったのかもしれない。そうとなれば高校は自分から挑むことで困難が立ちはだかろうとも自分の上にのしかかってくるようなことはないのでは無いだろうか。自分はいつでもやればできてきたのだから今回もやればやるだけ自分のためになると思ってやっていくのも悪くないかもしれない。
最後に、1つだけ確実に言えるのは、挑めば必ず兆しは見えてくるという事。これだけ自覚もあって自分の事を知っているのだから必ずうまくいくはずだ。

 

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2016/6/1

選択

人間生きてるうちは必ず死ぬ時が来る。この現実を知った時から自分が死んだら一体どこに行ってしまうのであろうかとしばしば考えることがある。それはとても単純な思いつきで始まり、特にこれといった答えも見出すことも出来ぬまま終わってしまう。でも何度も考えてしまうのだ。そこで今回この考えに新たな仮説を立てる事にする。それは人は死んだら「浄土」に行く、といったものだ。言葉自体は聞いたことはもちろんあるが、見たことも行ったことも触ったことももちろん無い。これだけは死んでからしか分からないのである。
途中で武田信玄の言葉が出た。「一生懸命すれば知恵が出る。中途半端にすれば愚痴が出る。いい加減にすれば言い訳が出る」といったものだ。実にその通りである。自分自身、戦国武将は大好きで武田信玄も家系までは言えないが、そこそこ好きな武将の1人である。この言葉を聞いたら、「あぁ武田信玄なら言うだろうなぁ」と思った。
彼は熱血家でそれでいて頭も切れている。そんな彼から自分にこの言葉が来たと思うと背筋が伸びる。しかもこんな昔の言葉に納得してる自分がいるのにもなおさらこの言葉に深みを感じる。大袈裟かもしれないが、これは信玄から私へのメッセージだと思ってこれから身を引き締めて生活していきたい。自分にとってこの考え方が1番納得しやすくて良い。

 

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2016/6/8

何をすべきか?これをすべき
「気付き、考え、行動する」

私はあの時以来、この言葉を忘れた事は一度もない。と言っても、今回の仏参の講話のテーマとなった「気付き、考え、行動する」という言葉には懐かしみを感じていた。簡潔に説明するとするならば、私の出身中学校の生徒の努力目標と一言一句同じだったからだ。なので、この講話では他のクラスメイトよりもとりわけ集中して先生が一体どんな話をするのか、ある意味少し上から目線で聞いていたような気がする。
それはさておき、一行目の「あの時」はいつなのかについてだが、少し時を戻して、中学時代の頃、私にはある好意を持つ女性が居た。彼女は個人的には容姿端麗で、成績はもはや学校単位でトップクラス。いわば誰もが想像する「天才・秀才」を具現化したようなものが、その彼女だった。
私は彼女にアピールするために、実にさまざまな事をした。彼女の誕生日には形として見えるように祝ったりもした。これらはいわゆる私なりの「行動」だったのだ。しかし現実はそう上手くいかず、これ以上距離を縮める事は出来なかった。私と彼女の間には単に「幼馴染み」なだけであって、これから揺らぐ事は無かった。反省点としては大きく分けて二つある。一つは、受験期であった事。彼女は府内トップの高校を目指していたので勉強一筋だった。二つ目は、「行動」はしたいたのではあるのだけれど、イマイチ先の先、例えば彼女の心境や境遇までもを深く熟慮し、「考える」事が出来ていなかったのではないかということである。今でもこの思い出を思い出すと心が激しく揺さぶられるような感覚に陥って様々な情景がフラッシュバックし、控えめに言って気が狂いそうになる。しかし彼女が与えてくれたものは大きい。彼女があってこその今の私がいると言っても過言では無い。あの頃の経験が今の生活の物差しになっている。「気付き、考え、行動する」この言葉は、私の全てを変えた。

 

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2016/6/15

出会いと別れ

私は今一度、このテーマに沿った自分の考えを改めなくてはならない。この「出会いと別れ」というテーマについてはここ2ヶ月半の期間の中でより強く密接に関わっていた。学校が変わり、身の回りの環境がガラッと変わり、普段目にするものや耳にするものが変わった。いわば人生においての小さな節目である。(自分にとってはとてつもなく大きい)。ここでは全てが変わっていて毎日が「出会い」の連続だった。そこから受ける新しい刺激が日々自分を広げていってくれる。私は出会い、そして変化しているのだ。もちろんこの前では「別れ」があり、不安や悲しみというのがあったけれども、それらのほとんどは時間と慣れが解決してくれた。あまり、このような時間まかせという手法は良いイメージが無いかもしれないが、私は実は私自身が「成長」したおかげで時間が解決してくれたように思っているのかもしれない。
高校に入学してからとても時間が早く感じる。しかしそれは早く感じるだけで、光のように駆け抜けるには明かりが必要である。これから先の見えない、足もとの見えない別れ道に遭遇した時、大切なものを逃さないように、強く輝く光が私には必要であると思う。
「出会い」は人から自分の心へと光を分けてもらうことである。やがて光は強くなり、辺りを照らす道しるべとなる。

 

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2016/6/22

お互いを認める

私は、集団は集まる理由で良い方向と悪い方向へと分かれるという話を聞いて、強く賛同した。と言っても、世の中には様々な集団が色々な形で存在する。その中でも特に自分と関わりの深い(無縁な人の方が多い。)集団を列に挙げて書くとする。それはオンラインゲームで見られる「クラン」というものだ。クラン自体も色々とゲームによって質であったり規模が違ってくるのだが必ずと言っていいほど、どのゲームにも悪質クランというものが存在する。具体的な彼らの行動はというと、大抵複数人で行動していて他のプレイヤーにとにかく害悪なプレイをするといったものだ。何故か長年批判され続けているのにも関わらず、被害報告や揉め事は今もなお絶えることはない。先にも述べたように悪い方向には行ってはいるのだが、彼らは自分達を正当化し、根絶えることのないコミュニティーを築きあげ続けているのだから、一番タチが悪い。
一方、良い・強いクランというのはメンバー一人一人のプライドがあって志も高い。目標がしっかりあって、特に世界規模で活躍しているクラン全てに言える事である。
Q.自分は弱いか?強いか?といった質問を投げかけると必ずといっていいほど、A.弱くはないです。と答える。そんなプレイヤーが多く集まるクランは必ず良い方向に進んでいる。今回の講話のテーマがあまりにも自分が所属しているコミュニティーに重なる箇所があったのでとても共感を得る事が出来た。

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2016/6/29

モラトリアム

自分が今何をすべきか?と考える時に、将来こうなりたいという所から逆算してやると分かりやすい。もちろん逆算の過程には事細かくスケジュールは組み込まれている。それらは今から自分が作り上げていくもので決してもう変わらないものではない。というよりも逆算がある程度出来る時点でもう未来図を書き終えているといっても過言ではないと言える。それらの夢や目標を叶える際に必ずついてくるのが孤独と知って、実は自分は孤独を恐れているのではないかと思った。うわべではたやすいように見せかけているだけで、本質的な部分が欠けているのではないだろうか。自問自答しても答えが中々出てこないパターンの問い、これが孤独というテーマの難しい所、あるいは奥深い部分なのかもしれない。何かきっかけが自分に来るのだろうか?何かが自分を大きく変えるなんて事が実際に起こり得るのか?結局自分の努力次第なだけなのだろうか?これらの答えは誰からも教えられる事はなく、また実はもうとっくに知っている事なのかもしれない。私は孤独になる事を怯えてしまっている。

 

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2016/7/6

人とのつながり

僕は今時間を有効的に、かつ自分のためになるように使えているかと問われると、素直に頷けないと思う。と言っても全くもって無駄にしてしまっているという訳でもない。これには少し前から自分の中で疑問に思っていた事だった。それはいわゆる「高校生らしい生活」といったものだ。周りは「もう高校生なんだから」とか「高校生はもう子供じゃない」と言ってくる。また稀に前記のように言った人が違う時に「高校生は所詮まだ子供、大人ぶるんじゃない」と言う。子供、確かにまだ二十を超えてないのだから子供だろう。では大人とは何か?こう考えた時にいつも言われる事が、「自分で金を稼げるようになって責任を負えるようになったらだ」だった。「大人」というものを文字に起こして書くとこうなるのだろうが、果たしてそれだけだろうか。僕は違うといつも思う。だがそれを言うともれなく「大人」という肩書きを使って圧をかけてくるだろう。あんな大人にはなりたくないなぁ…と耳をふさいでその場を乗り切ってはいるが。色々な人の考え方をのぞいてきてやはり「教育」こそが人を成長させると確信を持った。社会に出ると学力だけでは意味が無いのは承知の上だ。そこで学力の他の能力はどこでついたのかルーツを辿っていくと必ず教育に行き着くはずだ。僕はこれから「大人」が言った事でももう一度自分の中でフィルターを通して受け取る事にしようと思う。これまでの自分は少々素直過ぎたのかもしれない。またいつか自分が「大人」になった時には正しい、視野の広い教育といったものを発信出来る、そんな風になりたいと思った。

 

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2016/7/13

哲学

私は哲学に対して好きか嫌いかと問われると迷わず両方を選ぶだろう。何故なら哲学は私に対して好都合な点と不都合な点を含んでいるからだ。それは「哲学には答え(終わり)が無い」これに尽きる。小学生の時に図書室に行くのがマイブームだった私に、ある哲学についての絵本が一冊舞い込んできた。それは確か「人は死んだらどうなるの?」といったテーマで挿し絵と一緒に小学生向けの比較的易しい文章で展開されていた。その頃読んでいた本はせいぜい「〜のひみつシリーズ」や「はだしのゲン」、「ゾロリシリーズ」程度だったので「考え方」や「哲学」など難解な本に私は衝撃を与えられた。無論、「哲学」という言葉自体知ったのもこれが最初である。それからしばらく読み進めていると哲学には答えが無い事が分かった。この時は人が死んだ後は死んだ人には分からないだろうと思い納得したのだが、それが現在、哲学のテーマとして扱われるのはほとんど身近な現象や矛盾に関するものが多い。それこそ答えがすぐ出て来そうだが、これがなかなかうまくいかない。一方の意見に同調するとその中で問題点が出てきたり、また違う意見を持つ者から不満が出てきたりする。恐らく平和が来ない理由は哲学にあるだろう。哲学が人と意識の内側に存在する限り平和は訪れない。だからといって哲学が悪いとは言わない。哲学は人生を豊かにする。難しく思わなくても日々人が頭の中で密接に関わっているといえる。人は死ぬまで考え続けるものなのだからそういった意味で哲学の終わりが無いというのは必要なのかもしれない。

 

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2016/9/14

ハングリー精神

私が今「何故勉強しているのか?」と聞かれたら間違いなく「テストで悪い点を取らないように」とか「今はそういう時だから」と答えるだろう。しかし最近ようやく自分のやっている勉強をする意味について理解する事が出来た。まず初めはよく中学生の時一度は口にした「こんなん将来役に立たないだろ」について。これは半分合っていて半分間違っている。将来役に立つというか将来直接この知識が活かされる事はないということ。文系なら尚更である。そしてこれの決定的間違いといえるのは役に立つのは勉強して得た知識よりも勉強をする過程そのものであるという事である。以前に「勉強はトレーニングだ。五教科(国数理英社)は全てバランスよく頭を鍛えてくれる。」と言っている人がいた。またある人は、「社会に出てある程度の苦しい事・辛い事を耐える力は必要で、勉強はそういった面でも将来活きてくる。」と言った。この言葉で私の勉強に対する見方や意味というものが一変した。それと同時に今まで私に言葉を掛けてくれた人達の、あの時の言葉の意味というものが理解出来た。というのも今更理解したところでその講師の方には会う事がなくなり、非常に申し訳なく思う。そしてその講師の方が掛けてくれた「勉強に後悔はつきもの」という言葉もここにきてまた今を感じさせてくれた。

 

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2016/9/21

賞味期限

私がこの言葉を耳にした時にまず最初に頭に浮かべたのだが、「人の噂も75日」だった。人の噂も75日くらい経てば忘れ去られるというのは元から知っていたのだが、何故”75日”なのか?と思い調べてみると1年は365日、これを「立春立夏・土用・立秋立冬」の5で割ってみれば73日になる。つまりひと季節分のことで75という数字になるのだ。
それはさておき、このようなことわざが古くから存在しているという事は昔から人間には気持ちに賞味期限があったという事になる。これには利点と、大きな問題点が含まれている。利点というのはことわざのとおり、例えば自分にとって嫌な、気に食わない噂を流されても大体は75日くらいで耐えれる。という事。そしてこれとは反対に大きな問題点がある。人は時間によって記憶が薄らぐ。悲しみを忘れ乗り越えることは出来ても大事なことも忘れていってしまうということになる。具体的な例を挙げると、戦争や震災。もっと身近では「初心に帰る」なんていう言葉もある。何事もこの「初心」に帰る事によって当時の思いや意気込み、やる気などを取り戻す事が可能であると考えられる。これから様々な物事が起こっていく中で今一度自分の中で「初心に帰る」重要性といったものを感じる事が出来た。

 

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2016/10/19

諸行無常

私は日常の言葉のやり取りの中で「諸行無常」という言葉度々使う事がある。本当に昔の人々は目に見えない現実をどうにかして言葉におこすのが上手いなぁと感心させられる。私のように若くまだ人生経験が浅いままでも諸行無常を感じる事があるのだからこれは本当である。生きるものだけに限らず、人間がつくった物、時間そのものや場所、そこにいつまでも存在するあの時の思い出なんていう物全てにこの言葉が当てはまると言える。では一体その「諸行無常」の内に秘められた意味は何だ?と考えた時、それには人によって様々だろう。人は死んだ時に「大往生」と言ったりする。これはどうも「浄土に往き生まれる」という意味らしく、「往生」を「死ぬこと」とイコールづけするのは日本特有だというのだ。それでも「死」というキーワードを目に・耳にした時には、やはり悪いイメージが連想される。これはもう仕方の無い事でもある。「浄土」というのは全く苦しみの無い場所である。そしてそんな場所に「往き生まれる」のだから、実はポジティブな言葉であるのだ。「諸行無常」はその中に組み込まれたごく自然なサイクルであると考えるならば納得がいく。またこういう理解を踏んだ上でまたいずれ起こる「諸行無常」を目前にした時、考え方が変わるかもしれない。

 

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2016/11/2

自らを変える

私は今「今までで何が一番長続きしているか?」と問われてもうまく答えられない。なぜならこのような質問は一般的にスポーツや趣味、特技などを対象に言われていて、あくまで外部的な面でしか見ていないのである。ならば内部に着目し、「一番長続き」しているものに「自分」と置いてみるとまた意味が変化していく。
今まで歩んできた道すじを振り返ってみると、確かに自分がいて、そこには時間も流れている。それらの様々なピースが集結して自分というものが成り立っているのだ。過去に1つでもそのピースが欠けていたとすれば今の自分はずいぶん変わっていただろう。しかしそれは単なる思い込みのようなものである。例えば、今は幸せではないからという時にそれは自分にとって悪い環境だと思っても自分を変えるチャンスだと思うべきである。むしろ良い事だと思ってもいいくらいだ。時間は辛い時は長く、楽しい時は短く感じる。そこで今日の時間の体感スピードを小学生の頃と比べてみると圧倒的に昔の方が長く感じる。そうならば辛い時、苦しい時に時間が長く感じるというのは人生という点においては得なのではないかと思う。いつかゴールはあるのだから多少厳しい事でも続けるのは人生という観点ではとても有意義だと思う。

 

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2016/11/9

むちゃくちゃでも、まじめでも一途でも

今回の仏参の講話で先生が挙げた2つの例に加えて、私からは小・中学校からの親しい友人の話を挙げることにする。
彼の「仏」の部分に気づいたのは小学生の頃だった。いつものように学校が終わり、帰ってから私の自宅で遊ぼうということになった。当時は今ほど親しくなかったので彼のことはそれほど知らない。彼は家に入る時にしっかりと「お邪魔します」と挨拶をした。当たり前の事だが、いつもはあんなに「ちゃらんぽらん」で決して頭が良いとは言えない言動を繰り返している彼から発せられるとは思ってもいなかった。そしてもちろん帰る時の挨拶も欠かさない。それからさらに親しくなったと思う。なぜなら、そこでまた招きたいと思えることが出来たからである。そこから自然と会う回数が増えていって、中学にあがってからも今まで同じく親友である。このようにどんな人でもふとした瞬間に人を見る目が変わるのはよくある事だが、普段よくいる友人などの中でそういった変化や気付きがあるがあるとよりその人を知ったり、またその人から学ぶこともある。それこそその人の中の「正義」というものを感じれることがあるかもしれない。誰しも心の中の自分だけの正義があり、それは生きる上でものさしとして用いているならば、それは自然と行動、言動に表れるからである。そこまでは多量の時間を要すると思ったがそれを意識することのないまま気付かせてくれて事に何よりもありがたく思っている。

 

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2016/11/16

何をしたいのか?

人生、ひょんなことから進行方向が大きく変わる事はめずらしくないだろう。たったこの世に生を受けて16年の自分でも自覚している。自分の足もとから伸びる漠然とした人生は時に思いもよらぬ変化を遂げる。例えば今から5年前を思い出してみる。11歳だからちょうど小学5・6年の頃だ。あとちょっとで中学校へ入学すると心を躍らせていた頃に、それから5年後この高校に入学し友人も増え、これだけ高度な生活をしている事を誰が予想出来ただろうか?これこそ自分の進化・変化であると思う。さらにこの「5年」という時間の流れは年を重ねる毎に「変化の幅」が大きくなるといえる。それならば今、16歳の5年後、成人を迎えた自分は一体どうなっているだろうか?今と比べてより高度な生活をしているのは間違いないだろう。様々な人々と出会いその中でまた新たな関係を築いているだろう。人の未来の姿というものはやはり誰にも分からないし予想も出来ない。未来を創るのは自分自身である。これに尽きるであろう。自分の行動次第で未来のすがたはどうにでもなる。人は努力する前にやる気が必要だと言うが、これはどうやら違うらしい。これは親の言葉だが「やる気はなんて待ってても一生来ない。やり続けて初めてやる気っていうのは出てくる」と言われたのを覚えている。確かにやる前では気が乗らなくても、いざ始めるとノンストップで完了させたりする事は少なからず今までに体験している事だ。「考える前に行動する」というのは案外理にかなっているのかもしれない。

 

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2016/11/30

「自立」ではなく「自律」

人は自ら立ち上がることは出来ても律することは難しい。といっても今までそういった経験をした事がない故に新たな行動を始めるのは安易ではない。身近なところで例えるとテスト期間などに当てはまる。テスト勉強を始める前は中々やる気にならなくてもやり始めてからは、まるで機械の連動のように止まることなく続けることが出来たりする。また違う例ではコタツの温もりを知ってしまうと全くもって他の行動、主にまずコタツから出るといった所からおっくうになってしまう。しかしこれも同じく一度腹をくくって出てみると案外平気なのである。ある人がこの事を「行動の慣性」と呼んでいる人がいた。この特性をコントロールする事は難を要するが、ただ一つこれを味方につける方法がある。それは「習慣」である。やはりとでも思うがやはりこれが一番の方法なのである。その中でスケジュールを組み「自分の時間」をつくることが「自律」であるのだ。自分の考えた自分だけのルールで、守らされているのではなく、自分が守っている自分がやっていると思える事が出来るか出来ないかに「自律」出来ているかどうかが隠されているのだ。「学校にはそういったもののきっかけになる仕組みがいくつも設置されている。」先生の口から出て確信した。最初は先生から指示を渋々聞いて行動している所から「反抗しても何も始まらない」と気付けるかの所に「自律」が実は隠されているのではないだろうか。

 

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2016/12/7

なぜ英語を学ぶのか

ここ数年間英語を学んで、気づいたのは、初めて知った事、また英語を学ばなかったら気づかず通り過ぎたであろう事などがあった、ということである。それらは全て日本の文化や常識とはまるで違い、180度変わった価値観の中でゆるやかに世界を築いていた。その中を見るための小さな穴が「英語を学ぶ」というものだった。見た目だけでは全く分からない異国の文化の全容は、その国の言語を用いることによって大半は理解できるのである。そして私は考えた。その国の文化や価値観、人情というものはほとんどが言語に帰着するのではないかと。例えばこの講話でも出てきた「can」を取ったらそうだ。外国人は多少下手でもちょっとでも出来る、やれるなら「can」だという。日本人はそうはいかないだろう。なぜなら日本には謙遜の文化、言葉遣いが形成されているからだ。言語一つ一つの意味も国によって違う。それらのわずかな相違が国、人を形成している。またこのような事に気づいた後に自国の同じ日本人の血が流れる人を見ても、たとえ容姿・声・性別・思想が違えどさほど気にはかからないだろう。要するに他者を理解し、寛容になれるということである。異国の文化を理解するということの内側には真の意味があったのだ。多様な価値観を持つことは人生を豊かにし、自分の人生の新たなものさしになる可能性を大いに秘めているからである。

 

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2017/4/25

どうせ無理

「どうせ無理」、私たちが普段日常生活を送っていると、どこからともなく耳にする事のあるワードである。これは言葉の意味としてはそのままで、やっても無駄、やるだけもったいないといった意味が含まれている。それらのニュアンスの中にある共通点は「まだやってない」状態である。まだやってない、挑戦していない状態であるにも関わらず、身勝手に物事を判断し、決めつけているのだ。まだそれらが自分自身に言い聞かせるようなものの中には、人に向けてこのように発言する人がたまに見られる。これこそもったいない事である。やってもないのに結果を全て知っているかの如く口にするのは軽率で相手に対して失礼である。そこですぐに諦めずに、それならどうすればいいか?何か良い策はあるのか?考えられる人こそ「相手を思いやる心」が備わっていると言えるのではないだろうか。

 

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2017/5/9

つなぐ

我々が無意識のうちに守っているきまりの中には今までその場でしかなかったきまりがいくつあるだろうか。独特なものであればすぐに気付くのだが、たまに外部の人から指摘を受け、初めてそれがそこでの特有の文化である事に気付かされる事もある。そのきっかけは実に千差万別であると思うが、一つだけ確実に言えるのは、それらは我々よりももっと前にここに居た先人が未来に「つなげた」想いであると言える。より良い状態で未来につなげ、それを絶たせないようにルールが設けられた。それがその場で言う独特な慣習・常識となるのだろう。先人達はそのつなげるという行為に感謝の気持ちを乗せている。つなげてくれた事により、私たちの今がある。私たちはこれから次の世代につなげる必要があり、それが達成された時、今の行動に価値が生まれるのだろう。

 

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2017/5/16

“から”に”こそ”を

人間として生まれてきた限り、考えるという働きの内にはポジティブな考え方もあれば、反対のネガティブな考え方というのも必ず存在する。その中でいかに両方のバランスを偏りなくコントロールするかで日々の意識は大きく変わると思う。ひたすらにポジティブに考える事も不可能では無いが、いずれ身体か精神どちらかに限界が来るだろう。要はバランスが大事な訳でどちらかが一方的になってはいけない。ネガティブ思考は必要なのだ。そして、如何にして次のステップに持ち込めるかが同時に必要である。そこでテーマにもあった”から”の語尾に”こそ”を付けるように意識してみる。今までは”〜だから”だったのに対し”こそ”付ける事によって”〜だからこそ〜”と次に進む事が出来、決してそこで思考がストップする事は無くなる。どれほど無謀な事でも自分に今やるべき事が必ず何かあるという事を忘れないでいたい。

 

おわりに

このあと僕はパニック不安障害になり転学しました。

転学先ではなんとか高校生活をおくり、いろいろありながらも2019年に卒業出来ました。

毎回このノートを書いた後に必ず全部読んでリアクションをくれたH先生には感謝しています。

これが先生に届くとは思えないけど、あの時はどうもありがとうございました。